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【訃報】(河西)中村昌枝オリンピックバレー東洋の魔女主将が死去!


中村昌枝   東洋の魔女

1964年の東京オリンピック金メダルを取った中村昌枝(河西→かさい)さんが
2013年の10月3日の0時30分に死去しました。

死去の原因は?

東京オリンピックでなぜ東洋の魔女と呼ばれていたのか?

調べていきます。

(河西)中村昌枝さんの死去の原因は?

脳出血のために死去したそうです

80歳と高齢だったのもありそれも原因の一つかもしれませんね。

告別式は親族関係者のみで行うみたいです。

 

(河西)中村昌枝さん達は東京オリンピックでなぜ東洋の魔女と呼ばれていたのか?

中村昌枝

 

中村昌枝

生まれは1933年の7月14日
出身は山梨県の中巨摩郡
身長は174cm
体重は63kg

ポジションはセッターも兼ねてのセンターです。

ニックネームはウマです。

1961年にヨーロッパ遠征で22連勝という圧倒的勝利をしていたので
バレー大国のソ連も日本を

『東洋の台風や東洋の魔法』

と呼んでいました。

1962年の世界選手権では
もうすでに東洋の魔女として知られていたのですが
(正式には後に出てくる東京オリンピックでアメリカ人アナウンサーが
オリエンタルウィッチと呼びまくっていたので

直訳が=東洋の魔女が由来ですね)

ソ連と勝負して
どこまでいけるか?ということになっていました。
そのときには

回転レシーブと手元で揺れる変化球のサーブ

でソ連に3ー1で勝って優勝しています!

バレーボールの漫画で有名な
アタックNO.1の元にもなっているだろう出来事ですね?
必殺技も近いのもあったりするぐらいです。

 

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そして、このときの日本は団体の球技としては世界大会で優勝するのは
これが初めてだったのでかなりのニュースとして取り上げられていました!

1964年の東京オリンピックまでには
世界選手権で優勝していたので世界一周旅行をし、ほとんどが
結婚する年齢になっていたのもあり大松監督と選手は引退表明していましたが

この年から女子バレーがオリンピックに正式に入ることが決まっていたので

『東京オリンピックまで続けて』

という声がスゴかったのがあり

大松監督が『俺についてこい』

で引っ張っていって出場を決めたみたいです。
このときにはメンバーが15時までは会社、
そこから26時まで練習とハードなことをしてたみたいです。

そしてソ連との接戦の末に、また金メダルを取りました!

このときには14対9(日本があと1点で勝利)だったのですが
ソ連の怒号の粘りがあったためにアナウンサーが

『金メダルポイント』

と言うのを
6回も繰り返すことになるぐらい本当に少しの差でした。

 

 

日本女子のバレーボールは今でもその試合が注目されるし
見てて面白いのでこれからも全日本バレーを応援していきます!

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